【cult】


四桁の数字をタイプし、enter、暗証番号が違います。 四桁の数字をタイプし、enter、暗証番号が違います。 四桁の数字をタイプし、enter、暗証番号が違います。

例えばそれがフリーメールのアカウントのパスだったなら 大して問題はない。私の体温が急激に下がり始めたのは それがクレジットカードの暗証番号だったからだった。 料金明細に加えて届いた「ネットで残高照会ができます」 という紙を持ったまま私は凍り付いていた。 私は馬鹿ではないが、アホなので簡単に想像がつくような数字には もちろんなっていない。誕生日、生まれ年、住所、そういうのではない。 唯一の誤算は自分でも簡単に思い出せない数字だった、ということである。 たいへん画期的である。空前絶後といっていい。せっかくなので、 これを「ソーシャルハックに対するアクティブディフェンス」 と名付けようかと思う。みんな真似していいよ

2005/9/19

ハッと気が付いて、あれ俺なにしてたんだっけ?  そういう瞬間はだれにもある。 特に夜中、ガスが切れたバイクを引いて歩いていたりすると 尚更そういう瞬間に出会い易くなるものだ。バイクというのは 基本的に鉄の塊である。そして鉄というのはそこそこに重い。 15℃という普通に歩くには少し寒い気温の中、 私の全身からは滝のような汗が流れていた。あっという間に息が上がって、 メットのシールドが見る間に曇っていく。自分があえぐ声がうるさい。 不自然な体勢で引かざるをえないせいで脇腹がひどく痛む。

我知らず口から「ごめんなさい」という言葉が洩れた。 ごめんなさい、だから誰か助けて下さい。という意味だったのだと思う。 ハンドルを握る手にも次第に力が入らなくなってくる。指がつる。 そういう時に限って携帯もない。時計もない。加えて体力もない。 助けは来ない。そして私が目に見えない誰かと会話を試みる間も 夜はその気温を下げていく。指先は痛いくらいに寒いが、 首筋からは汗が流れる。喉が渇いて痛い。

何で燃料計のないバイクを買ったんだろうと思ったが、 今更それを言っても仕方がなかった。 出掛けにガスを確認したときは十分に見えたが、 全然十分ではなかったらしい。直前までは普通に走っていたのだが、 交差点に捕まって、止まった瞬間にエンスト。 はてと思って歩道に引いて行って(セルはついていないので) キックすること数十回。しかしエンジンはかからない。 何でエンジンがかからないんだと、 カリカリしていたその時、まるでカミナリに打たれたように 後ろ向きの天啓。ガスは? タンクを叩くと軽い乾いた音。 蓋を開けてタンクを覗くが、暗くて奥までは見えない。 バイクを揺すって見るが、フロントフォークが軋む音だけが、 辺りに響いて、私の頭の中を反響する。キシッキシッキシッキシッキシッ。 液体の音は聞こえない、安いベッドを軋ませたような音だけが聞こえる。 膝から崩れ落ちる、とはこういうことか、と思った。

私がまだずっとサルに近かった子供のころ、 私のひい爺さんがスクーターのエンジンがかからなくなったと バイク屋を呼んでみたらただのガス欠だった。ということがあった。 耄碌したなぁと思ったものだが、ひい爺さんの耄碌は 八十も超えてからである。ひるがえって自分は―― 指を折って数えてみると五十年以上耄碌が早い。 目の前の数キロ続く長いバイパスが、さらに長くなった気がした。 久しぶりに泣きそうになった。

2005/9/13

選挙終了である。ダラダラ感想を書く。 特に用事があったわけではなかったが、 私は八日に期日前投票に行ってきていたので、 とっくに終わったことのようで盛り上がりに欠けた開票だった。 とはいえ自分の一票でことの趨勢が変わる可能性は微塵もない。 あんまり盛り上がりまくるのも気持ち悪いのだが。 現実としてあまりに低い確率というのは無視されるし、 実際今回の選挙では二人出て一人は小選挙区で一人は 比例で当選である。そもそも選挙の必要があったのか。 そんな気がしないでもない。

田舎の選択肢の少なさには愕然とするものがある。 正直なところをゲロすれば、 画数の少ない候補に投票しようかと思ったくらいである(しなかったけど)。 自民は最悪だが、残りが民主しかないのではもっと最悪である。 誰もが小泉を押した、というよりはそれ以外の選択肢が無かった、 そういう選挙だったのではないかという気がしないでもない。 もっとも投票の時に眼鏡を忘れてしまったので、 かなり勘にたよって書いた。 今更だがちゃんと書けていたかの自信がない。 今ごろ無効票で焚かれているのかもしれない。

小選挙区と比例区はよかったのだが、 「最高裁判所裁判官 国民審査」これはまったく事前調査を しなかった(行って用紙をもらって思い出した)ので 嫌いな奴と同じ名前に投票しようかとも思ったが、 無かったので止めた、というのは冗談だが、 裁判所にお世話になったことはないし、これからもその予定はない。 辞めさせたい人にと言われても名前も知らないオッサンばかりである。 そもそも私の住んでいる町には裁判所すらない。 裁判官に投票するために判例記録を読むような人間が 果たして何割いるのかはかなり疑問である。 私は結局白票のまま箱に入れた。 こんなのに実効力があるのか疑問だと思って調べたら、 過去十九回で罷免は一回も無しだそうである。 紙資源が勿体ない。

つらつら書いて思ったが、なんだか選挙の感想というよりは、 選挙に行った感想である。散歩の感想と大差ない。

関連

2005/9/12

以前 「交通安全協会」についてチラッと書いたことがあった。 それからこっちずっとその存在を思い出すことすら なかったのだが、九月四日の 報道特集で「交通安全協会」の特集が 組まれていて、それを見て久しぶりに思い出すことになった。 こういうことは思い出せる程度にしか忘れていないのに 重要なことは影も形もなく忘れているのだから救いがない。

内容は強引な勧誘や天下り体質についての告発だった。 当時どういう組織なんだろうと思ったのを覚えているが、 そういう組織だったらしい。 番組構成としては主婦層にフォーカスしてる感じで、 私が社会正義に燃えるような性格だったなら 抗議の電話の一つもかけていたかもしれない。

しかし、こういうニュースをみて義憤に駆られるのは、 意識しているかしていないかに関わらず基本的には羨ましいからである。 楽に金が稼げるのだから羨ましくない訳がない。 罪を犯したことのない人だけが石を投げよ、ではないが、 腹の中はそんなのだから大っぴらに文句をいうのも何だか躊躇われる。 天下りすれば五年で数千万などという話を聞くと まるで違う国の話である。俺にも天下らせろ。内心そう思っているのに 口から出る言葉が「けしからん」では人の矜持に悖るというものである。 とはいえ人間そんなもんだ、というのは共産主義の衰退を見ればよく分かる。 「足るを知り」とは、かの老子の言葉だが、 未だに通じるところを見ると人間という生き物はそのころから あまり変わっていないらしい。有史以来、脳の外部化によって 進化を代替してきた人類が、果たしてその外部化をし尽くした時に どうなるのか、ふとそんなことを考える。

閑話休題。上の話とは全然関係ないけど、 面白い記事を見つけたので リンク。 訳した人はかなり凄いと思う。

2005/9/6

ボーッとミクシを眺めていたら こちら ニュートラ:適性・適職診断というのを取り上げて おられたので私も診断してみた。 何々診断系を見つけると何も考えずに 実行してしまう辺り我ながらダイアルQ2のexeをワクワクしながら 起動してしまうエロ少年とかと大差ないなと思う。 あるいは正しい順番でボタンを押さないと飢えて死んでしまう スペースモンキーみたいだなぁとちょっと思った。

結果は こちら。 どうやら私はいま(極ナードな層で)流行のツンデレ系だったようですよ。 つーかおもいっきし社会適性低そうな選択肢ばっか選んだのに リーダータイプってどういうことか。いちおう断りますが、 私はそういう器の人間ではありません。参考までに私がリーダーに なった時の行動オプションをドラクエ風にいうと 「たたかう」「まるなげ」「よこどり」「しっそう」の四つだ!

2005/9/6

笑うという行為は健康にいいものらしい。 少し前に「あるある大辞典」 でもやっていたし、もうちょっと マトモな感じのソースもちゃんとある。 ふつう気分が良い時は体調もいいものだし、 また逆も然りだからあぁそうだったんだと 終わってしまいそうにもなるが、これは些か不思議な現象である。 まず単純に考えて笑った場合に健康になる必要がない。 そもそも平易の状態から健康であるに越したことはないわけで、 何故そうしないのか、また仮に簡単にはそうできない理由があるにせよ 生命体には状態を最適化しようという力が働くものだし、 そういう要請もまた自然選択的圧力として存在するはずである。 然るに笑う行為がもし本当に有益であるならば、 地球上は箸が転げても面白い人たちばかりになっているのではないか。 しかし、実際にはもちろんそうはなっていない。 それはたいへん喜ばしいことだが、やはり疑問がないでもない。

私に考えられる仮説は四つ。 一つ目は自然選択に影響を及ぼすほどの効力がない。という無味乾燥なもの。 二つ目はむしろ積極的に優秀な遺伝子をふるっている。 つまり笑うというバイアスをかけている、という解釈。 三段論法的には、笑う=コミュニケーションスキルに 優れるまたは頭がいい=状況に対する適応性が高い=優れている。 というような構図である。選択的自己淘汰。 とか適当な熟語を考えついたりもするが、 これは個別のストラテジーというよりは種族的なものと考えられる。 もちろん種族的というのは結果論的な言い回しであって、 共同歩調でそうなっている、ということではなく 個々の多様性の追求の結果。といえる。 三つ目は大宇宙不思議パワーの影響である。 冗談かと思うかも知れないが、未知の要素を想定することは 重要なことである。四つ目は上記の複合系である。

笑うという機能と健康状態の最適化という機能は決して 不可分なものではない。なぜその二つが結びつくのか。 理由はなぜか、その意味と効果はどのようなものであるのか。 また何故そもそもその機能を獲得するに至ったか。 あるいは至らなかったか。様々疑問は募るが、 こういう話はどうにもキリがない。

2005/9/6

雨の日は何故かよく眠れるものだ。 起きて時計を見ると十時を回っていた。 昨日寝たのが十二時くらいだからきっかり十時間は寝た計算になる。 雨音のおかげで車の騒音もどこか遠く聞こえるからかも知れない。 成長期はとうに過ぎた。十時間は些か寝すぎかとも思うが、 眠いものは眠いのだからしようがない。 人間という生き物は人生の三分の一を寝て過ごすものらしい。 私の場合このまま行けば半分近くを眠りこけて過ごすことに なりそうだが、思い出してみると十代の頃ほどは長く 眠れなくなっている。一日中寝続けるとか言うのは 体力的にもう無理らしい。 今日のように十時間も寝れば嫌でも目が覚めてしまう。 この調子でジジイまで生きながらえれば、 確かに三分の一になるかもしれない。 深夜に目が覚めて、日のある内に眠りにつく。 嫌でもそうなるのかもしれないが、想像すると少しゾっとしないでもない。 人間の理想的な睡眠時間は七時間だ。 そんなニュースを以前なにかで見たことがある。 それ以上でも以下でも心臓発作とか脳梗塞とかのリスクが上がるのだそうだ。 ひどく寝疲れしたりするとその理由が良く分かる。 もっとも実際にそうなるのは老人の話で、 今の自分にはあまり関係はないが、ともかくダルい。

2005/9/4

夜中というほどでもない時間、ボクがバイクで走っていると、 後ろから車が近づいてきた。 そしてぐんぐん近づいてきたかと思うと、 100キロ以上のスピードでボクを追い抜いて行った。 比較的大きな道路で時間は夜、無謀運転というほどでもないが、 モラルもあったものではないな、とボクは思った。

2005/8/1

もう何年も前の話だ。 男がナタで通行人を無差別に襲う、という事件があった。 動機は暑くてむしゃくしゃしたから。 どうかしてるがとても私好みの事件だったから今でもボンヤリと覚えている。 ここ何日かの抜ける青空と東向きの部屋で迎える朝のお陰で、 不意にその事件のことを思い出した。空費される脳の ディスクスペースを憂う余力ももはや無い。 35℃からの爽やかな朝の目覚めが私を一人前の腑抜けにしてくれる。 朝一から35℃なんてハッキリ言ってどうかしてる。 ジョージを京都議定書に批准させろ。 中国とインドの人口を減らせ。車に乗らずに歩け。文明を捨てろ。 そして何よりこれ以上ホルスタインにゲップをさせるな。 二酸化炭素と地球温暖化は必ずしも単純なイコールではないが、 ふとそんなことを考えてしまう。とはいえ考えても私にどうなる話ではない。 私は個人的にそれをドラゴンクエスト症候群と呼んでいるが、 自分がやれば何とかなると思うのは社会が抱く陳腐な幻想その一だ。 個人の影響力なんてたかが知れたものだ。 じゃあみんなでやればいいんだよ、そういわれそうだが、 そんなに簡単に共同歩調が取れるなら世界はもうちょっと平和になっていい。 実際のところは新聞を広げるまでもなく聞かなくてもテレビが全て教えてくれる。 それよりも今日の暑さで何人の老人と前途ある若者が無くなったか、 そんなことばかりが気にかかる。私は老人でも前途ある若者でもないが、 明日は我が身である。身につまされる。

2005/8/1

心停止状態で病院に搬送され、その数時間後に死亡。 よくある夕方のニュースを見ながらふと思う。 それは私の晩飯になっているキュウリの和え物は 果たしてどのタイミングで死に至ったか、ということである。 人間ならまだいい。実際に死にかけている人を目の前にして じゃあこうなったら死んだって言うことで、 そんな話をするわけにはいかないから自分でやらなくても 誰かかがここからここまでという医学的な線引きをしてくれる。 環境の要請に対する反応だから、それは概ね合理的なものになるだろう。 しかし、キュウリと言うと中々難しいのじゃあないか。 もちろん科学的に適当な判断というのは可能だろう。 それはごく単純には不可逆的な機能の破壊であり、 ようは腐れるとか刻まれて酢の物にされるとかそう言う感じのことで、 これは目で見ればすぐ分かる。 私が思ったのはそういうドラスティックなものではなくて、 ゆるやかに化学反応の連続性が失われる瞬間とでも言うか、 キュウリであってキュウリでない、そうなる瞬間についてである。 自分でもはっきり分かっていないのでこうこうこう何だ、とは説明はできないが ともかく不思議である。もし仮にキュウリの延命装置、ようは 茎と葉と根を代替するものが存在したら話はもっとややこしい。 サイボーグ化されたキュウリは果たして生命か?

2005/7/17

蚊に食われた。 いよいよ夏が来たな、脛を掻きながらそう思う。 ここ数日はやっと梅雨が来て幾分か涼しい日が続いたから もうしばらく蚊はでないかと思っていたが、そうでもないらしい。 窓には一応網戸がかけてあって、この間網戸の虫除けスプレーも 使ったのだが、あまり効果はなかったようだ。 もっとも網戸であるからそこにスプレーを吹き付けたって 糠に釘を打つがごとしである。そんな気はしていた。

蚊が一度の吸血でどのくらい血を数のかは知らないが、 おそらく頑張っても二、三滴程度のものだろう。 よってたかって吸われても小さじ一杯にもならない。 別に貴重なわけでなし、コップ一杯ぐらい血を差し上げても いいのだが、そのたびに一々痒い思いをしなければならないのでは たまったものではない。といって手首を切ってコップに貯めて置けば そこから吸って行ってくれるというものでもない。

しょうがないから今日から蚊取り機を使うことにした。 子供の時分に芥川の「蜘蛛の糸」を読んで以来、 何とは無しに蜘蛛は殺さなくなったが蚊なら特に問題ないらしい。 こういうものを使う時にいつも疑問に思うことがある。 虫が死ぬのだから人も死ぬのではないか、という疑問である。 パッケージを見るとピレスロイド系の トランスフルトリンと言う薬剤が使われているらしい。 そういえばCMで聞いた事があるような気もする。

Wikipediaで調べると仔細な説明に化学式まで載っていた。 世の中つくづく便利になったものだと思う。 ピレスロイドとは除虫菊に含まれる有効成分の総称なのだそうだ。 殺虫剤と聞くとどうにもDDTなどが思い浮かぶせいか、 馬鹿だとは思うが、蚊取り線香と同じような成分、 と聞くといくらかは安心できる。神経毒らしいから 蚊も何だか嫌な死に方をしていたのだなと思う。 一寸の虫にも五分の魂なととも言う。 五分もあるならそのうちまとまって枕元に立たれるかもしれない。

2005/7/8

おそらく今週中はほとんどのどのチャンネルを 回してもイギリスで起こったテロのニュースが流れているだろう。 曰く「野蛮な攻撃」曰く「強い非難」現行の社会に置いて 野蛮は原則許されない。それは十分に非難の対象になりうるし、 ひいては法的制裁の対象にもなる。では果たして「野蛮ではない攻撃」、 とは如何なるものでどう加えられるべきなのだろうか。

まずはやはり正装だろう。 日本人なら燕尾服か。攻撃が行われる場所は基本的にドレスコードありありで。 ナイフ等々の武器類も未使用品でなくてはならない。 何回も使用されたものでは刃こぼれなどもあるだろうし、 衛生面、心理面でもよろしくない。また個人的にはアルコールないしは イソジンで完全に滅菌してから刺して頂きたい。銃火器類なら 遺体の損傷が激しくなっては申し訳がないから原則軟弾頭の使用は禁止。 口径は9ミリ程度で弾は損傷の少ないアーマーピアシング弾を使うべきである。 また人道面からの配慮として即死あるいはそれに近い 効果を得られる部分を攻撃するべきである。もちろん各々の宗教様式に 合わせた法要の算段も事前にして置かなければならない。 遺体を路傍に放置するわけには行かないからである。 ここまでが準備である。で、やっと実際に攻撃する段になる。 当然だがやはり予告なしはよろしくない。 相手にだって都合がある。攻撃しますよ、 と宣言してから攻撃を加えるべきである。 しかしあまり待たせるのもヤキモキしてなんだろうから、 宣言から五秒適度の間に攻撃を加えるべきだろう。 またその間に攻撃の理由も説明しておくとなお良いだろう。

これだけやれば少なくとも「野蛮」との謗りは受けないだろう。 勿論「野蛮でない攻撃」がある。という前提が成立するならばだが。 とはいえ野蛮でない攻撃ならしてもいいと言っている訳でもないから これだけ心を砕いて攻撃してもたぶん怒られるだろう。当たり前か。 ともかく野蛮であるとか薄っぺらで身のない人格批判は止めて 「例えどんな理由があれこの国の人間に危害を加えた奴は皆殺し」 そういえば色々と単純でいいと思うんだが、やはりそうも行かないか。

八日の今の時点ではまだ死者数はかなり錯綜しているようだが、 それでも100人死んでいない。こういうことを言うと 怒られそうだが、テロリストの連中は真面目に事に あたったのだろうかと思えてならない。 ちょっと頑張ってバスを吹っ飛ばしてみても それでイギリスがどうなるでもない。

それがいいことなのか悪いことなのかはともかくとして その程度の被害を出してみても どうせ来年の今頃には「あぁそんなこともあった」その程度のことである。 当事者ならまだしも殆どはそんなものではないのか。 果たして2005年のいま911の正確な死者数を覚えている人間が 何割いるか。911が何年前の出来事か、忘れた訳ではなく 最初から覚える気もない。違うなら違うでいい。それはそれで結構なことだ。

しかし、ハリウッドの映画なら三本に一本は世界の破滅寸前まで行く。 いまさらバスや地下鉄が吹き飛んでもすでにどこかで見た話である。 それを見聞きする人間が第三者である限り、 現実の悲劇はしばしば対岸の火事でしかない。 バスをふっ飛ばしてみても単なる嫌がらせにしかならない。

どこの組織の犯行かはまだ判然としていないようだが、 案外イスラムとかではなく今回の社会不安で得をする奴が、 例えば対テロで組まれる膨大な予算なんかもある訳で、 今回の件もブレアがブッシュとの共同歩調を取るために、 等とゲスい勘繰りをしてしまうが、何でそういうゲスい 勘繰りをするかと言うと私ならそういうことをやるだろうと 思うからである。 例え三流ゴシップでもこんな下らない事は考えない。 誰も想像すらしやしない。これが狙い目でなくて果たして何か。

2005/7/8

「DVDのレンタルが一本80円!」 というあからさまに安っぽい広告にのせられて 久しぶりにファイトクラブとあと何本かDVDを借りてきてしまった。 私は笑えるくらい自制心が弱いのでしばらく返しては借りを 繰り返しそうな気がしてならない。ファイトクラブは 劇場でも地上波でもレンタルビデオでもDVDでも見たが(見過ぎ)、 何だか全部編集が違ったような気がする。まぁ単純に脳がふやけた だけかも知れないが。三日前の晩飯がもう思い出せない。

2005/7/8

たぶん今月の一日だったと思う。 いつものことだが朝生は夜中から朝までだから何曜日の何日だったかが どうにも判然とした試しがない。話のテーマは先の大戦で 半分棺おけに足を突っ込んでいるようなそんな人が主だったから いつもと違ってゆったりとした感じであまり朝生っぽくは無かった。

そういうものなのか、それとも頑張って集めたのか 特攻隊の生き残りが三人も居たのが印象的だった。 中でも俳優の池部良と言う人が一番強く印象に残っていて、 八十幾つという話だったが、話す素振りからは およそ年齢が想像できない程に若い人だった。 ロールモデルにしたいと思える老人はそう多くないが、 と言っていないわけでもない。

特攻を行う時は目を瞑ってはならない。 当時のゼロ戦には減速装置がなかった。 特攻の際の加速に伴って揚力が増し、目を瞑ってしまうと 予定の地点からずれて向こうの海面に飛び込むことになる。 だから最後まで目を瞑るな、部下にはそう言ったが、 自分ができるかどうかは分からなかった。 生き残った人の一人がそう話していて、それも強く印象に残った。 とりあえず私にはできそうもない。

2005/7/8

もう何ヶ月も前になる。 夕方のニュース番組だったと思うのだが、 子供が被害にあう犯罪が増えているとかで特集が組んであって、 知らない人に話しかけられたら逃げなさいと母親が子供に教えていた。 危険を察知できない子供に育っては困るのは分かるが、 極めて可愛いだとか金を持っている子の親以外は すれ違ったら笑顔で挨拶なさい、と教えるべきではないのか。 そう思ったのを覚えている。他人を見たら泥棒と思え、 私はそんな社会に暮らしたいとは思わない。

古代からの慣わしなのか、テレビという簡便なメディアの 発生と同時にそうなったのかは私には分からないが、 社会不安は広く一般にコモディティ化していて、 それは例えば十代の凶悪犯罪だとか、エリア51の話に近い。 少なくとも私の周りに凶悪少年が居たことはないし、 リトルグレイと握手した人も居ない。 うろおぼえだが、この国では毎年200から300程度の 殺人事件があったはずである。一億三千万分の三百というのが、 どういう数字か。ちなみに交通事故は毎年一万前後である。 今までにも何回も言ってきたし、 これからも何回も言うが交通事故で死ぬ確立の方が (あくまで統計的にはだが)何十倍も高いのである。 いまさらマスコミは馬鹿だなどと言うつもりもないが、 そういう情報の流し方がニーズに沿ったものなのかもしれないと 思うと些か不遜だろうが「あーあ」とは思う。

何かに対する不信は非生産的で社会的に限りなく無駄な行為である。 もちろん不信の全く必要のない社会は 誰もが善人であるという前提なくしては成立しないが、 そう悪人ばかりでもないだろう。朴訥だけが美徳ではないが、 誰も彼もを疑う必要はない。

完全に乗り遅れたからリンクはしないが、 少し前にネットでの実名についての話題が見かけたことがあった。 必要以上に高いリスクの算段という点で構造的に 似た部分がある気がしてならない。 それが何かは全く分からないが、興味深い話題ではある。 もっとも問題になっていた文脈とはちょっと違うから 関係がないと言えば関係ない。 オチはない。

2005/7/8

六月は曇りすら稀で、雨は殆ど降っていなかったが、 その日の朝から降り始めた雨は夕方には大雨注意報になっていた。 はっきりとは覚えていないが、去年の今頃は確か大雨で、 実家が床下浸水した、そんな話を聞いたような覚えがある。 ほんの数キロ先の建物が強い雨脚にさえぎられて白く霞んで見える。

やることもないから、ダラダラとテレビを 眺めていると鳥インフルエンザのニュースがやっていた。 インフルエンザに感染しているかも知れない鶏を 黒いゴミバケツのようなものに放り込んで、そこに炭酸ガスを流し込む 映像と三分で忘れられそうなナレーションがたらたらと流れる。 職員曰く一分ほどで死に至るそうだ。その一分の間に鶏は何を考えるのか、 興味はあるが、あまり想像したくはない。隣県の話だが、あまり実感はない。

このまましばらく降り続けばと思ったが、 次の日には雲がちりじりに少し残っただけで、 日の光がまばらに残った雨の痕跡をじりじりと蒸発させていた。

四、五日前の話。

2005/6/30