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2006年03月19日

54個のうんざり

パズルには大別して二通りのパズルがある。バラバラにするのが難しいものとそれを元に戻すのが難しいものである。前者はブレイクスルーポイントがある、とでも言おうか「あぁなるほど」という感覚で解けるもの。後者は爽快な解法というより総当り的な、押しなべて地味な毛色のものが多い。そして大抵の場合、うんざりするほど難しいのは後者である。

外すだけなら偶然(事故ともいう)外れることもあるが、逆に偶然元通りになる、ということはまぁまずない。外れたものを元に戻すには明確な手順を踏まなければならず、明確な手順を踏むためには十分に構造を理解していなければならない。一つや二つなら脳内レンダラと脳内CADでも過不足ないが、十を超えてそれらを把握し続けるのは些かばかり難しい。

そういう場合はバラす前に完成形の写真を撮っておくと復元はグッと楽になる。もちろん可能な限り見ずに復元するが、保険があるにこしたことはない。私はおもむろに携帯を取り出し撮影しようとして、そしてパズルは崩壊した。誤って触れた指から堰を切ったように崩れ落ちるピースピースピース。もちろん完成形の写真はまだ撮っていない。まるでズルすんなと言われているかのような見事な崩壊ぶりに私は奮起して、そしてそれからさほど時をおかず心が折れた

こういうパズルに触ったことがある人なら分かると思うが、最初に外面を観察したかどうかというのはこの手のパズルにおいてはかなり重要で、完成形を全く見ずに組むのは誇張ではなく倍は難しい。藁にもすがる気持ちで冊子を見るが、冊子の写真は実に巧妙に撮影してあり、殆ど用をなさない(後で分かったことだが冊子の写真は実に嫌らしい組み方をしてあった)。

このパズル、ピースはすべて同じ形(凸形)なので一見簡単に思えるが、実は逆でむしろピースは固有であればあるほどはまる位置が限定されるため足がかりが作り易く、そういう場合そうそう酷くつまってしまうことは無い。例えばジグソーならピースのもつ一番大きな固有性は「端」である。次点が絵。例えば立体で同じ形、同じ色のピースしかなく、しかも完成形が不明。そんなのを想像してもらえれば私の言っていることがよく分かってもらえるだろう。一個で三回は心が折れるお得仕様、こういうのが許されるのは(検閲)の製品とパズルだけである。

結局崩れたパスルは一時間以上二時間近くの時間をかけて復元することになった。積んでは崩し積んでは崩しという作業は賽の河原すら彷彿とさせるが、そういう作業が醍醐味なのだから何とも変な趣味である。とはいえ流石に54ピースは多すぎるので、後々の保険、兼何処かの誰かの救済用に内部構造まで当てが付く画像も一応乗っけておく


ちなみにこのパズル、キチッと組み上げても目の前でくしゃみをしただけで崩壊しそうなほどの現状維持力(造語です)なので最終的には手近の付箋で封印してしまった。正直しばらくは見たくもない。

2006年03月16日

古人かくかたりき

何事も、初めて、ということはあるが、大抵の場合それはあまりいいものではない。少なくとも私の場合はそうだ。慣れないことというのはとかく失敗し易く、失敗は往々にして甘美ではない。こういう書き出しで始まるということから察しも付くだろうが、まぁ何と言うか失敗したのである。

世の中には初めてを経験しないで置いた方がいいことというのもある。例えば初めて使った郵便書留で、出して一時間後に書類の不備に気が付く、とかそういうものがそれに当たる。さらに言えばその書類は最悪明日の消印が押されないと全く意味が無く、そしてその書類にはそれなりにコストがかかっている。そういう場合は尚更だ。世の中、後悔、ということはあるが、それが失敗以前に訪れることはない。

今まで知らなかったし、できればずっと知らずに居たかったが、郵便書留というのは一通止めるごとに五百円と少しかかるものらしい。A4の封筒を二通だして、二通回収して、また二通出す。六百六十円で届くはずのものが、結局二千円を超えることになった。勉強料と思えばそう高くは無いが、こういう場合のもっとも効率的な勉強とは他人の失敗を見ることであって身銭を切ることではない。よくよく失敗はするものではない。

「お前がいつか出会う災いは、おまえがおろそかにしたある時間の報いだ」というのはとある有名な皇帝のお言葉だが、まぁともかく簡潔行こう。つまりは一語に尽きるのだ。「ちゃんと確認せよ」

ビスマルク風に言えば「青年にすすめたいことは、ただ三語につきる。すなわち確認せよ、もっと確認せよ、あくまで確認せよ」といったところか。ありがた過ぎて泣けてくる。

2006年03月08日

水は答えを知っている

やっちゃあダメだ、と言われるとやりたくなるのが人の心というものだが、いやぁ今回は実に危うかった。本屋でブラブラしてたら高名な名著であるところの「水は答えを知っている」がおいてあるじゃあないですか。かなりの引力でもってレジに引っ張られたが今回は辛うじて事なきを得た。次はヤバイかもしれない。購入を断念した理由は金銭面など色々あるが、おそらく一番大きかったのは鼻をかむにはチト硬かった、ということだろう。

私がこういう本を見た時に思うことは実に単純で「何てこった、こんなゲスいやり口で大金儲けてやがる。なんて羨ましい」である。バカを煽って(恐怖のシナリオとして本気で言っているという可能性もあるが、あまりに怖いのでそれは考慮しない)利鞘を稼ぐ、資本主義の社会だからそれもアリだが、他人が大入でやっているのは実に目障りだ。道義的にはともかくとして違法ではない以上、騙される奴が悪いし、感銘を受けたのであればその感銘そのものは(仮に嘘に由来したとしても)きっと本物だろう。感動の多い人生、実に結構じゃないか、などと言っては流石に少し嫌味が過ぎるか。とはいえ何たらにつける薬はないし、死ななければ治らないなどという言葉もあるが。酷い話だ。まぁその意味では確かに水は心の鏡なのかも知れない。

最後に私がなぜこの本を購入したくなったのかをアマゾンのレビューから引用しよう。それはかの本が「きれいな写真がのった抱腹絶倒の本」だったからである。あとこれ「純然たるトンデモの一冊、トンデモ収集家のあなたにこその一冊」流石に「あなたにこそ」とまで言われると少しグラリと来てしまう。本棚は持ち主の人となりを表すなどとも言うが、私の本棚は、果たして何を表しているだろう。興味はあるが、なんか知らないでいる方がいいような気がしないでもない。

参考一参考二参考三参考四