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墓前にて

今日は祖父の命日で、久しぶりに実家へ行った。もう子供ではなくなった私には実家を訪ねるにも理由が必要だ。私はそもそも出不精だし、またなまじ近くにあるからなお訪ねない。久しぶりに見た池にはマトモに買えばそれなりに高いらしい鯉が十数匹と、柿の葉がいくらか落ちていた。柿は十分に熟していたが、もう誰ももがない。勿体ない気もしたが、私は柿が嫌いだから黙って家へ入った。祖父が亡くなったのはたった一年前だが、もうとてもむかしのことに思える。子供だった頃より一年は早く過ぎている。

仏壇へ行って線香をあげた。あまり頻繁にはこないので何本か大目に焚く。仏壇の上には故人の写真が飾ってある。曾爺さんと曾婆さんと祖父の写真である。どれも結婚式の写真の引き伸ばしだから画質はあまりよくない。顔も笑ってない。実はもっとあるが、私には誰か分からない。多分、曾曾爺さんか曾曾曾爺さんとその婆さんだろう。曾婆さんは私がかなり小さい頃に亡くなったからほとんどなにも覚えていない。ただ怖い人だったことと亡くなった朝がとても静かだったことだけは何故か今でもはっきりと覚えている。曾爺さんは書家だった。何か思い出そうとすると、縁側で色紙に何やら書き付けている風景を思い出す。ずっとプリントだと思っていた漢文の襖は曾爺さんが書いたものだったということを今日祖母から聞いた。ぞんざいに扱った記憶がいくつかよみがえる。流石書家というべきかそりゃそうかと言うべきか曾爺さんは丁寧にも家系図を記していた。存在は知っていたが、今日はじめてそれを読んだ。家系図だとかが書いてあるなかで、何故か私の名前だけ字を間違った跡があった。何やら書いた後で消したその下に私の名前があった。何と間違えたのか、聞いてみたくはある。

祖父は典型的な昭和一桁だった。元々の性格なのか、戦争の時代がそうしたのか、恐ろしく頑強でかつバイタリティのある人だった。祖父が亡くなったいま祖父の記憶はどんどん美化されつつある。祖父は私が尊敬する数少ない人間の一人だ。昨日、夢を見た。明日は命日と思って寝たせいか夢には祖父が出てきた。夢を見ているあいだ祖父の顔ははっきりしていたが、いざ目が覚めるとぼんやりとしか思い出せなくなっていた。それから何回か試してみたが、やはりぼんやりしたままだった。仏壇に飾ってある写真を見るが、あぁそういえばこういう顔だった、とは思わなかった。今では声もはっきりとは思い出せない。一年の歳月は着実に祖父を記憶の産物にしつつある。時間の経過は容赦なく記憶の輪郭を潰しているらしい。

祖父は一年前に亡くなったが、実は私の中ではまだ死んでいない。と言っても別に「私の中で生き続けていきます」などという訳ではない。キョンシーになった訳でも、ましてブードゥーゾンビになった訳でもない。平たく言えば未だに実感がないだけである。去年の今頃、私はひどく体を壊していて亡くなる前の数ヶ月間は数える程しか見舞いには訪ねなかったし、結局葬式にも出ていない。火葬にも行っていないし骨も拾っていない。納骨もしていない。葬式の前日、一度だけ手はあわせたが、既に納棺は済んでいた。時間は短かったし、部屋も薄暗かった。故人がひょっこり顔を出しそうで、などという言い回しはよく聞くが、ちゃんと葬式にでないと確かにそんな気がしてしまう。

誰の言葉だったか。葬式は形式的なものでしかないが、死んだのだという区切りをつける意味で無駄ではない。という意味の言葉を何かで読んだことがある。今になってなるほどなと思う。私が葬式に出なかったことで祖父は死に損なったし、私は祖父を殺しそこなったらしい。祖父が本当に墓に入るまで私にはもうしばらくかかりそうである。

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